(何も具体的なことが書けず、非常に抽象的な体験談に終始しています。読むことはあまり推奨しません。いずれかと言えば記録目的のため?)
昨日は、妙に面白いことがあった。
とある案件絡みだったのだが、プレゼン?めいた約束のある直前に、「横槍」(?)が入ったのである。
「横槍」といっても、別にそう不益なものでなく、取りようによっては「助け舟」になったかもしれないのだが。
その「横槍」を入れた人には固有の目的があったものの、折悪しく叶えられることはなかった。
しかし、皮肉にもその「横槍」がきっかけで、プレゼン?直前に、「全然別の方向性」を着想してしまったのである。
そうすると、ここまで練り上げてきた内容にかなりの根本転換が必要になるのか。
結論から言えば、そこまででもない「微修正」に留まった。
が、「多少は考慮可能な」アイデアを刺激したのもまた事実であった。
その「横槍」を入れた人の気の毒と道化ぶりには、失笑を禁じ得なかった。
その人がタイミングを得なかったのは、様々なディスコミュニケーションの積み重なりによるものだった。
その「横槍」は、結局単に内々のものに収まってしまい、恐らく何かにはならないだろう、という気はしている。
ただ単に、(確固たるアイデアというより)きっかけ、あるいはインスピレーションをもたらした、まさに「ダシのダシ」として利用されるに終始してしまったのである。
しかし、社会や人生の「機」というのは、本来そのようなものでしかないのではないか、という気もしている。
「運」は自ら引き寄せるべきものだが、そもそもそれが希薄だったに過ぎない。
しかしそうすると、「大きな流れ」からは淘汰されてしまう。
全貌が見えたわけでもないし、それはまたさしたる意味はないと思うが、「運と機の引き寄せ」が「生存競争」の決め手にもなると、非常に身近に、そして具に観察できた興味深い機会だった。