セルフケアと「男性」性

フェミニズム・男性学周辺に関心。立ち位置は、親でも反でもなく「中立」。

とある漫画家のマンガへの嫌悪感の正体…?

筆者は、高校~大学生前後までよく読んでいた漫画家が2人いる。

(誹謗中傷の意図はなく率直な感想を述べたいだけだが、そう取られるのを避けるため、記号表記のみとする。内容分かりづらい点はご容赦を)

両者とも、日本では殆ど誰でも知っているレベルの有名な男性漫画家、一人はA、一人はB。

 

ただ、その二人とも、ある時期から、全く生理的に受け付けなくなってしまったのである。

画の時点で気持ち悪くて読めない。

とはいえ、「読みたいのに読めない」というのではなく、既に中身への興味もなくなってしまっているのだが。

一方で、「かつては結構好きで読んでいたのになんで?」というのは気になっていた。

ただし、もう読めなくなっているため、「自己分析」しようにもできなくなってしまったのだが。

 

しかし、思い当たる部分はある。

・作品からうかがわれる「女性蔑視」、というより「女性をモノと見ている」女性観・人間観・社会観の気持ち悪さ

と端的に表現してしまってもいいだろう。

そして、既に両者とも良い歳で「功成り名遂げて」いるので、今さらその人間性が変わる・変えようはずもない。

だから、こちらも今さら、そんな作品世界など見たい筈もない。

 

言語化してみると割とシンプルなのだが、分からない時期が結構何年も続いていたのは、「自分自身の内面の変化やその方向性」が分からなかったから、に他ならないだろう。

なぜ同じ漫画家に対する捉え方がこうも変わったのか、それは「自分が変わったから」に他ならないのだが、その変化や、どう変わったのかが分からなかったからなのだ。

 

その両者は、今なお現役で作品を描き続けている。

だから、当面「過去のもの」として振り返られることはないだろう。

また、筆者は、彼らの作品は、マンガとしては読めないが、文章なら読めることに気づいた。

Aのほうは、論説文も少なからずものしているからだ。

もっとも、別段、彼らの近年の論考自体にも特に興味があるわけでもないのだけど。

 

今となってはどうでもいい存在、に過ぎないかもしれない。

が、「自分自身が変わった確かな証」、「証人としての反面教師(のテキスト)」ということは言えるのだ。