セルフケアと「男性」性

フェミニズム・男性学周辺に関心。立ち位置は、親でも反でもなく「中立」。

友達の出産報告を祝えない不幸な社会

最近、海外在住アラサー日本人女性のnoteのブログ記事で、「昔からの日本の友達のグループラインに、『子どもが産まれました』の報告をしたら、誰からも何のレスポンスもなくスルーされ、悲しかった」という趣旨の記事を読んだ。

 

この記事では、色々思うところがあった。

結論からいうと、著者の考えは、「↑のブロガーは(日本社会のアラサー女性を取り巻く社会環境や境遇を考えると)KY(死語?)だった。しかしそもそも、出産報告に素直におめでとうも言えない、それゆえ忖度して、そうしたさりげない報告すらすべきとは言えない社会は、不幸な社会としか言えない」とまとめられる。

 

アラサー女性を取り巻く環境は、

・結婚するか・出来るか否か、周辺の圧力の有無

・結婚を目標にした場合、婚活の過酷

・同じく、出産するか・出来るか否か

・結婚や出産のタイムリミットへの意識や焦り

・(なかなか妊娠しない場合)不妊治療の過酷

・育児と育児環境の過酷

・家事と仕事の両立、その相克

・育児や家事に対する、社会や男性側の旧態依然たる環境・スキルの低さ、またそれを巡る対立(社会内や職場内・家庭内)

・子育てにおいても、塾・予備校通いから延々続く進学競争と、それをめぐる教育的出費

・離婚

・(離婚に至らない場合でも)セックスレス、不倫、DV等の軋轢

・離婚後の人生・経済環境・仕事・育児等(シングルマザーの境遇)

・仕事についてはそのキャリアや収入の展望

・上記の様々な条件や状況をめぐる、周辺との比較や見栄

etc.

(「女性の貧困」はそれ自体大問題だが、逸れるので今回は措く)

 

思いつくまま列挙しても、アラサー〜アラフォー女性には、既にこれだけのイベントの可能性がある。

↑のブロガーの同年代の友人も、既に婚活不全、育児の忙殺、不妊治療、不倫、離婚等の、多様なネガティブな経験や環境に置かれていても全く不思議ではない。

「おめでとう」と素直に言えないとしても、無理からぬところではある。

 

興味深いのは、「結婚して出産して、家庭を手に入れた。だからと言って幸せになれる・なれた訳でもない」と気づく人も現れ始めたことだ。

 

無論、個人的事情もある筈だが、それよりは日本の現状の経済環境・社会環境に依るところが大きいと見ている。

「結婚して、子どもを産んで、幸せな家庭を築いて」という(「昭和」までの)「真っ当な人生」を実現するためのコスト(経済・時間・精神面)が、あまりに高くなり過ぎてしまったのだ。

そして、そのことに気づく人が増えている。

 

また反対に、個人や家族のあり方も、もっと自由で良いんじゃない?という多様化というポジティブな路線も開けつつある。

そうは言っても、日本社会は(特に地方など)古く凝り固まり容易には変わらない部分も依然あり、そうした旧世代、家・親や社会環境との対立や相克もあるだろう。

 

女性は、人生に「出産」という「選択肢」があるだけに、悩み迷う振れ幅は大きい。

その選択を巡り、幸福だけでなく、後悔や苦難を得ることも多い。

さらに、幸不幸を、周囲の環境と比べてコンプレックスや、逆にマウント合戦も起きやすい。

 

著者は、「生涯未婚」「生涯子なし」の男女が増えることは、日本社会にはむしろ「福音」と考えている。

そのことについては、また改めて考えてみたい。