セルフケアと「男性」性

フェミニズム・男性学周辺に関心。立ち位置は、親でも反でもなく「中立」。

夜明けまでバス停で(2022)

(ネタバレ注意)

コロナ禍で飲食店のパート仕事を何の前触れもなく解雇され、頼る先もなくホームレスになってしまった中年女性のストーリー。

 

前々、というより公開当初から気になりながら手を付けられないまま来ていたのを、連休で時間が出来たのでようやく。

GWにふさわしからぬ、重苦しいチョイスだったかもしれないが。

 

主人公演じる板谷由夏は、別作品でも、会社のハラスメントを受ける役回りで知っていた。

コロナ禍では、「女性の自殺増」のニュースに強いショックを受けた記憶があるが、「女性ホームレス」も見えにくい社会問題として注目されていた。

 

コロナ禍の渋谷バス停・ホームレス女性殺害事件で見えた日本の現状。政策から漏れた、夫や親がいない女性に迫る貧困 コロナと女性の貧困|人間関係|婦人公論.jp

なぜ40代の女性はホームレスに?コロナで新宿の食料品配布会場に増える女性の姿 - 貧困や格差のない社会へ - NHK みんなでプラス

“女性ホームレス” から考える日本の隠れた貧困問題 | nippon.com

 

コロナ禍の若年女性の自殺増加、会話機会の喪失など要因か 横浜市立大など | Science Portal - 科学技術の最新情報サイト「サイエンスポータル」

新型コロナ禍による10-24歳の自殺増加は女児・女性のみ顕著であることを確認 | YCU 横浜市立大学

 

リアル過ぎて見続けるのが苦しかったのだが、「家族・家庭でも、職場でも人間関係でうまくやっていけない」ことも、ホームレスになる遠因として描写されている。

そこに、コロナ禍という経済的打撃は無論だが、職場や上司のハラスメント環境という要素も絡んでいる、という構図。

追い詰められるには、重層的な構造が潜んでいるし、また主人公も、周囲にうまくSOSを出せず、ホームレスの集中する公園なども避けて、バス停で夜明かしをしている。

 

同時に、差別される「周縁」の人々、「ジャパゆきさん」とかつて呼ばれて日本に来て年齢を重ねてしまった外国人女性と同時に、「文句があるなら自分の国に帰れよ」と軽い気持ちで排外感情を口にする若者がいる。

本作がドキュメンタリー色だけでなくエンタメとしても成り立っているのは、ホームレスの集まる公園に、かつて三里塚闘争を闘い、伊勢丹前で爆破事件を起こしたという元闘志の老人が登場することだ。

新宿クリスマスツリー爆弾事件 - Wikipedia

 

ところどころで、ホームレスに厳しく排除的な「自己責任」論をほのめかす世間の風潮(youtuberの言説など)が差し挟まれ、「(ホームレスに対する)世間の目、それを意識してホームレスがどのような動きを強いられるか」が描かれている。

その中で、菅首相が「自助、共助、公助」を唱えたテレビシーンも出てきた。

 

菅首相が、あのスローガンを唱えた時に違和感を覚えた人は少なくなかろう。

ただ、自分は、こうしたスローガンには、「本当に国や行政にはもうカネがないのだ」という裏のホンネや思惑というものが、だいぶ前から透けて見えるようになった。

また、格差拡大の一方で、バラマキ以外に有効な対応策を持たない、「政策的貧困」という行き詰まりも鮮明となっている。

このような政治的行き詰まりというのは、「自己責任論×大衆の政治的無関心×近視眼」という「日本国民の自己責任」が招いたものということはできないだろうか。

 

自分は、安易な自己責任論には与しないが、「弱者は国や行政が救済すべきだ」という議論にもまた安易に賛同しようとは思わない。

将来を担う「子ども予算」一つ取っても、財源でこれほど紛糾するのだ。

老人たちが、自らの逃げ切りを図り続けてきたゆえに、今現役世代がそのツケを支払わされているのは確かだ。

その一方で、政治啓発の不足は無論の事だが、近視眼的で中長期の未来、即ち「今」の状況に対し、散々警鐘を鳴らされながらも、陰に陽に必要な諸改革を拒み続けてきたのもまた、国民であり経済社会のほうではないのか。

ここまで、「人手不足で社会経済が回らない」ということが可視化されるまで、何一つ問題認識も出来なければ、手も打てない。

これが、日本社会であり、日本人なのである。

 

片方で、ユニクロの柳井さんが語っていた「政府はお金がないのに分配ばかりしている」という発言に共感せざるを得ない。

ずっと無責任な野党根性と割り切ったうえで、共産党のような、「軍事費に回すのをやめて、福祉予算を増大させよ」という耳触りのいい発言が出来ればよいのだが。

しかし一方で、自ら血を流す改革は拒んで、税負担を強いられるたびに選挙で与党に制裁を与えるような有権者の政治感覚もまた幼稚と思わざるを得ない。

 

「世界の1%の富裕層が、世界の富の4割を占めている」ことは、広く報じられ知る人も多い筈だ。

しかし、資本主義のシステムそのものに、根本的な改編が加えられる傾向はなく、著しい行き詰まりや、(現在のGAFA対策のような)甚だしい市場の壟断が見られない限り、「世界でヨーイドン」の改革というものは困難だ。

国際協調による施策がどれほど難しいかは、気候変動・環境対策で既知の筈だ。

資本主義の効率性というものを考えると、今後も、国際協調による強い制御が加えられるというのは考えにくく、今まで同様、「小刻みに、部分的に改善を試みる」程度の部分修正路線が現実的と見るべきだろう。

 

そうである限り、本作で描かれるような、「重層的な環境に取り巻かれた弱者」の犠牲は今後も増えることはあっても減ることはあり得ない筈だ。