セルフケアと「男性」性

フェミニズム・男性学周辺に関心。立ち位置は、親でも反でもなく「中立」。

初めて感心した「夫婦別姓」体験実証チャレンジャー

先日、「国際女性デー」に合わせて、「選択的夫婦別姓」を求める集団提訴が行われたとの報道があった。

 

選択的夫婦別姓を求めて 長野県など男女12人が集団提訴 姓を変えるとキャリアが維持しにくい…【長野】(テレビ信州) - Yahoo!ニュース

 

夫婦別姓を求めて5回の“ペーパー離婚”を経験 両親の「別姓」を体験した息子は「名字が変わって家族が壊れるイメージ湧かない」(TBS NEWS DIG Powered by JNN) - Yahoo!ニュース

 

その中で目を引いたのが、「いったん結婚後、夫婦別姓をめぐって離婚し、今は事実婚状態にある」というカップルで、特に彼らは、「社会保険のシステムの都合上、夫婦別姓はできないのだと言われた」と確認した、というのだ。

また、必要に応じて、ペーパー離婚を5回も繰り返した、というカップルについての報告もあった。

要は「結婚・離婚」も「戸籍」も、倫理的な意味合いを込めず、単なる「道具」としてそっけなく扱っているのだ。

こうした「夫婦別姓」の「体験実証」型チャレンジャーの存在には、初めて感心したのであった。

 

自分は、「夫婦別姓」自体は結構なことだと思っているが、別に「賛成」論者というわけではない。また「反対」の立場というわけでもない。

じゃあどっちなの?と聞かれるかもしれない。

「イエ(家・家族)」や「戸籍」、日本の税制など、トータルな観点での関心はあって、「夫婦別姓」というのは、あくまでそうした問題関心の一つに過ぎない、という位置づけであり、その課題に敢えてクローズアップして特段の重きは置かない立場、と言っていい。

実際問題、現時点で「当事者性」がないから追ってない、というのも否めないが。

 

では、「初めて感心した」とはどういうことか?

自分が、世で目にする(特に女性が多い印象があるが)「夫婦別姓」の主張(?)には、「感情論」がとても強いと感じているからだ。

 

「なんで結婚する時に、特にもっぱら女性側が姓を変えなきゃいけないの?」

の「疑問・反発」で文字通り「停止」しているのである。

「なぜそうなのか?」を制度的・歴史的・政治的に十分掘り下げもしなければ、どうすれば実現できるかという方策の考案も、それに対する行動も、あまりにも不足している。

 

「疑問・反発」は、あくまで「出発点」としては妥当であり、また当然だと思う。

けど、それだけで終始してない?という個人・カップルが非常に多い、というのが個人的な印象だった訳だ。

 

自分の「夫婦別姓」論者・議論の印象としては、上述「感情的議論」に終始しており、

・「夫婦別姓」論の意図する狙い

・それで実現される社会像

・「運動」における戦術と、その立ち位置

・理論的前提の確かめ・基盤

・歴史・政治・社会状況の認識

がチグハグだ、との印象を持っている。

だからこそ、積極的に「賛成」し、心情としても「応援」しようという気にはならない。

 

しかし一方で、経団連も「選択的夫婦別姓」に賛成するなど、次第に環境は整いつつある。

経団連会長、選択的夫婦別姓の導入求める 実現向け政府に働きかけへ:朝日新聞デジタル

なおかつ、非婚化が急速に拡大する社会の中では、多様な結婚のあり様を認めていくこと自体が「結婚(という制度・営み)へのニーズ」として求められている状況とも言えるだろう。

 

自分が「夫婦別姓論議推進において確認すべきと考えるポイントは、主に以下である。

・各業界システム面の「社会実装」が可能な条件は整っているのか、その確認

・推進する政治・社会的な戦術と戦略の選択

・政治的・歴史的な認識を、社会の中ですり合わせること

 

自分が疑問視しているのは、「選択的夫婦別姓」が、単に「当事者運動」のような形の訴訟運動として行われている点だ。

これは単なる「ゲリラ戦術」にしか、自分には映らない。

あるいは、現状はまだ社会的気運も盛り上がっていなければ、社会啓発も進んでいない以上、まずは「少数でも、声を挙げ続けること」に狙いを定めているのかもしれないが。

 

なぜ疑問視しているかというと、自分は、「夫婦別姓」のチャレンジというのは、(「夫婦別姓」論者が主張しようとする、単なる「家族問題」に留まらない)日本の戸籍面・税制面の革命的変革を内包したものだと考えているからだ。

そうであるし、またマイナンバー制度は、基本的には、そちら方面(=「個人単位に課税できるシステム」)へと舵切りしたものと捉えてよい。

その面でも、制度面・社会実装面での基盤は、確実に熟しつつある。

しかし、どこまでも「個人と家族の問題」に内閉しようとする「夫婦別姓」論者には、そうした歴史的・政治的射程があるようには見受けられない。

これには、バックアップするメディアや学者の側の問題も、非常に大きいと考えている。

 

だからこそ、今回、夫婦別姓「体験実証」型の夫婦には、初めて感心したのだ。

実際にやってみて、社会課題を認識し、また実験結果を周知もする。

彼らは「一歩を踏み出した」と言える。

 

自分は疑問を呈したが、「夫婦別姓」論者が「当事者運動」に留まるのも無理ない面もある。

結婚時に姓を変えるのは、変更時点では社会的コストが大きい一方で、いったん変えてしまった後は、バリキャリでなければさほどの負担や違和感もない、という夫婦がむしろ「多数派」になってしまう現実もあるからだ。

そして、上でも触れたが、現代では、「結婚」できること・そのカップル自体が、既に「特権(階級)」化してもいる。

 

夫婦別姓の体験実証」というのは、当面の実践的戦術としては、割と有効なのではないかと感じた。今後は、戦略的に、その「縦の深化と横の拡張」が求められるだろう。即ち、

・「体験実証」のカップルを、「政治家」として、国会以外に、地方議会などでも増やすこと。

  同じく、(芸能界自体は芸名の世界なので)そうした実践を行っている「ビジネスタレントのカップル」をテレビに出させて啓発を行う。

  また、そうしたインフルエンサーに、同様の啓発をSNS上でも行ってもらう。

・制度とシステムの側の、「社会実装」への「呼応者」を増やすこと。

 現状での課題と、どうすれば実現できるか、実現した先の像を可視化してもらうこと

である。

 

夫婦別姓」推進論者や、メディアの政治的・社会的スタンスも見直すべき点があると考える。

夫婦別姓」を「個人と家族の問題」に内閉させようとするのは、要は「利己主義」でしかないんじゃ?と受け止められる。

そうでなく、日本の歴史と、政治社会制度まで深く掘り下げた上で、「こうした変革が、日本のためにどうしても必要なのだ」というビジョンの訴えも必要ではないのか。

「当事者運動=マイノリティの運動」に終始する限りは、マイノリティを占める、岩盤保守的な自民党的心象に、実勢として勝てるはずがない。