セルフケアと「男性」性

フェミニズム・男性学周辺に関心。立ち位置は、親でも反でもなく「中立」。

「女性史」をやる難さとキツさ

自分は、歴史のカバー範囲は極めて広範なつもりだが、今さら、「女性史」は殆どタッチしてないのに気づいた。

なぜか。

「無興味・無関心」というより、正確には、これまでに「視点」がなく、スタンスを持てなかった、というべきだろう。

 

我ながら凄い(?)というか呆れるのは、これほどスタンスがフーコー的なのに、「性の歴史」は一度も開いてすらない。

「視点」がない(なかった)、というのはその事実が物語っている。

(自分は「現代フランス思想」には一定の距離を置いていたという特殊事情もあるが、それについては今は措いておく)

 

「当事者性からの逃げ」は当然あったろうが、言い訳してしまえば、それは無知×余裕の無さからくるものだ。

フェミの論著は、単に学術研究ではなく、「訴え」を含んでいる。

こちらに、その受け止めるだけの「準備」(精神・政治・学術、そして生活etc.)がないと、しっかり受け止められないし、「応答」もできない。

 

学生時代は、ようやく「フェミニズム」という用語のみが、人口に膾炙したに過ぎない段階だった。

しかし、その時代の下地があったからこそ、ほんの僅かだが本を読んで考えに触れる、という最低限の知的営みは存在した。

もっとも、そこにいくつもの留保は付け加わった訳だが。

・「フェミニズム」そのものに対する疑念と警戒心

・また、リベラル言説総体に対する批判的読解

 (フェミ言説自体も、あくまで「そのうちの一つ」として摂取されたに過ぎない)

・何より、自分自身の専門(哲学・歴史、次いで経済)を固めねばならなかったこと

・「格差」の問題は関心があったものの、経済格差は特に世代間格差に興味が偏っており、性格差問題は後景化していたこと

etc.

 

2010年代は、振り返れば、日本社会にとって、「多様性の革命」の時期と今後位置付けられるかもしれない。

日本経済が地盤沈下するとともに、社会的リソースは逼迫し、積極的に目を向けられず抑圧されてきた「多様性」が主体としても、外部環境からも「覚醒」し得た。

(ここでも何度か扱った)#metooも含め、そうした社会的下地が十分にあったからこそ、自分自身もようやく目を向けることが出来るようになった、ということだ。

 

特に、日本社会は経済沈降と同時に、少子化が急加速している。

「家族」規範の底が抜けたことで、自民党=保守「本流(?)」が「守る」べき規範のすべてが、事実上、根拠を喪ったのだと個人的には見ている。

(「親ガチャ」という概念は、「儒教・家族規範(呪い)」への「子」からの「謀叛」と捉えてよい)

構造改革」が「自民党」の根拠そのものを破壊した。(小泉の唱えた)そのテーゼがまさに実現し始めた、ということだ。アベ-安倍体制というのは、その最期の残照だったとみるべきだろう。

 

「破壊としての構造改革」、そのプロジェクトが日本社会において完成しつつある。

そのためのツールとして、またプロセスとして、「女性史」が最強の威力を発揮する、というのが自分の考えなのだ。

 

「歴史というのはhis story(男性史)であってher storyではない」というフェミの視点に、かつて強い反感を覚えたのは事実だ。

では、今はそれを全肯定して受け入れるのか、といえばそれも少しズレがある。

なぜか。

(例えば、本当に女性が暴力的蹶起をして男性の「粛清」などを行うというのでない限りは)今の(「男性支配の」)「社会」を、政治的・社会的プロセスを持って変えていくよりないからだ。

 

前も論じたが、自分には、一種の政治的・社会的リアリズムがある。

日本の男性は、(特により上の世代のほうほど)精神的に未熟で、フェミの訴えなどは堪え難く受け入れ難いだろう、と見ている。

そして、フェミは歴史的に・また社会学的に、一方的にそれを断罪する訳だが、自分は、そうした「断罪」には一概には与しない。

なぜか。

そうした一方的な(いわば「上から」の)「断罪」は、社会的・政治的反発(バックラッシュ)を引き起こして、「男性」の態度を硬化させ、かえって改革や、その柔軟な受容を難しくしてしまう。その「現実」を知っているからだ。

世の中、「正論」だけが通用して自然に変わっていくほど甘くはない。

 

じゃあ何も変えないかと言えば、そうではない。

変えるために最重要なのは「戦略」だが、既存のフェミニズム男性学には、そうした視点が不足しているように見えるのが、自分が何より飽き足らない点なのだ。

そして、そこには彼ら自身に何より、哲学と歴史が不足しているからではないのか。

今度はこちらから厳しく断罪するなら、だからこそ、「批判」するしか能がなく、ポジティブに社会を構築するプランも、また手法も不足しているのだ。

そう見ざるを得ないのである。

 

抑圧・差別されている当事者が、「権力・支配力を持っている側が変えろ」と訴えるのには、妥当性がある。

しかし、社会がいつまでも同じで変わらないのに、その当事者自身も同じ地点にいてずーっと変わろうとしないのもまた、十分に「幼稚で未熟」とは言えないだろうか。

(特に「夫婦別姓」問題をみていると、強く感じる)

「正論を訴える」だけで変わらないなら、「戦略」を用いるべきだ。

あの手この手を使って知名度と社会的理解を高め、政治的な味方を増やし、少々迂回したとしても、次の世代が裨益できれば良い。

そうした「老獪な粘り強さと知恵」が不足しているように見える。

 

随分と前置きが長くなった。

自分が、今こそ「女性史」をやろうと腹が決まったのは、「法」の成り立ちという最深部に誰よりも深く切り込んでいける、という自負・自信が生じたからだ。

単に史的探究ではなく、その先「法」をどうする・どうすべき、という(政治的・哲学的)見通し込みのことだ。

 

「女性史」をやる難さとキツさとは、「男性」がただそれをやろうとするのは、自分たちが一方的に支配・抑圧・搾取してきた事実を突きつけられる苦行とならざるを得ない。

じゃあこれまでやってこなかったのは、「逃げ」で「卑怯」だったろうか。

客観的にそうみられるのは仕方ない面もあるかもしれない。

 

ただ、自分は(専門外と感じる限りは)「不関与・不発言」という最低限の「節」を貫いた(「語り得ぬものへの沈黙」)。

また、その間も「知りには行っていた」=「無知」なままでいいとか、そのままで居ようと立ち止まりはしなかった。

「差別」「暴力」には加担したくない一方で、それらを無くするというのは容易ではない。

不毛な泥仕合に足を突っ込んで、時間や精神を消耗している暇はないし、力も展望もないのに参加しようとするのはそもそも愚かしいことだ。

一方で、じっとその動きを距離を持って眺めつつ、情報収集はしておく。

 

自分は本来的に「運動主義」者ではない。

「自分が行動すれば世の中が変わる」といった単細胞的思考は持ち合わせていない。

じゃあ「冷笑系」かと言えば、そうでもない。

変えるなら、きちんとした知識・情報収集の上に立った「戦略」を構築し、その上で動くべき、と考えている。

 

こうしたスタンスは「保身」で「ズルい」のではないのか。

開き直るのではないが、それは認めざるを得ない。

学問というのは、「中立(ニュートラル)」な営みではない。

特に、現代のような激動期では「政治的」なものとならざるを得ない。

もちろん、それ(=「保身の狡さ」)だけではないというには、今後「結果」で示すよりないだろう。

 

「女性史」をやるには、方法論的な難さも無論ある(あった)。

が、今となっては、二義的なものに過ぎなかった。

今は「法」という強力な切り口を手にしているからだ。

「視点」さえあれば、今まで殆どやってない領域でもズンズン進んでいける。

そして、「近代主義」に立脚している社会学フェミニズムには絶対に切り込めない深みとまた新たなプロジェクトに達していけるだろう。