セルフケアと「男性」性

フェミニズム・男性学周辺に関心。立ち位置は、親でも反でもなく「中立」。

婚活ヲタクの観察

ブログでは、好き好んで婚活記事ばかり読んでしまう笑

婚活する人もしない人も、どんな心境でその判断や行動に至るのかは気になっているからこそ、摂取はしているのだろう。

あと、婚活業者の煽り文句もそれなりに個性があって面白いと思うこともある。

 

別に馬鹿にしてる訳でも、人の努力を嗤いたい訳でもない。ただ、「自分にはとてもそんなバイタリティは持てないなー」という畏敬の念や、「結婚」とか「家族」「子ども」「年齢」への妄執への恐怖感のようなものはある

また、「今さらよく家族とか結婚にそんな幻想持てるよなあ」とか、「明らかに自分の条件客観視できずに選り好みしようとしてるな」と呆れたりすることはある

(気づいたが、婚活者の記事は、男は殆ど読んでない。女性ばかりである。尤も、積極的な理解や協力・努力の念が持てない限り、生涯「結婚」には向かないだろうとの自覚もある)

婚活業者の記事で印象的、かつ納得感のあったのは、「条件で選ぼうとする限り、絶対に幸せな結婚はできない。『好きになれる』相手を見つけることが必須条件である」だ。当然と言えば当然だが、婚活者がいちばんハマりやすい盲点かつ隘路だということは想像がつく

 

割と「出会える確率」という婚活そのもののコスパでも、現在の日本の離婚率(35%!)という点でも現実的な見通しという面で冷淡視しているところはある。

一般論として、現代人は「自分一個人の欲望ばかり垂れ流しがち。とかくガマンというものができない」という悲観的な人間観を持っていることも影響しているだろう

女性にタイムリミットがあるのは理解しているが、「◯才までにマイホームを買って、◯才までに子どもを何人持って…」のような時限目標のプレッシャーをかけられること自体あり得ない

(「家庭」とか「家族」というものが、基本的にそうした経済的にネガティブなイメージで占められていると言える。「幸せ」のイメージを持たない人間が向いている訳がない笑)

 

そうした現実認識や見通しを持ちつつ、「婚活」というドロ沼で苦闘する人々やその実際の苦悩を眺めることは、面白いし、社会観察として勉強にもなる。

こう書きつつ、個人的には「絶対結婚したくない」という訳でもない。「結婚しようがしまいがどっちでもいい。こだわりがない」という感じ。しゃかりきになる必然性がどこにもない、というスタンスでいる

この先、出会いはあるかもしれないし、ないかもしれない。どっちに転ぼうと面白おかしい人生になるほうを選ぶだけのこと。そこに「婚活」というものが介在する余地がない話に過ぎない