セルフケアと「男性」性

フェミニズム・男性学周辺に関心。立ち位置は、親でも反でもなく「中立」。

「自死する寸前」だけ助けんな。

※何らかの規制がかかって閲覧できなくなった場合はすいません。

あいみょんの「生きていたんだよな」という好きな歌がある。

この歌の「飛び降り者の勇気」を賛美している部分に、特に共感を覚える。

 

法的規制ができたのか詳しくは知らないし興味もないが、ネットでもテレビでも「自死」関連報道の際は、相談センターの案内付きで、「悩んでいたら抱え込まずに相談を」と、躾の悪い犬のように吠えたててくるようになった。

ただ、この手の見え透いた「声掛けしぐさの偽善」には、昔から疑問を抱いている。

というより、はっきり言うなら反吐が出る。

 

「最後に死のうとする瞬間」だけ声かけてきてんじゃねーよ、という話だ。

その段階で声かけてくるくらいなら、何でその前のどこかの段階で気づいて助けてやらないわけ?

自死したい」とそもそも思わせるまで追い込んでんじゃねーよ。

 

本来、「死」「自死」という一点だけを注視しようとする社会や世論の姿勢は、奇妙と言わざるを得ない。

 

医療システムの必然として、「自殺者」「自殺未遂者」も、救急車で運ばれてくれば、その病院では助けざるを得ない。

社会システム上仕方ないとはいえ、この「誰トクにもならない救助」もつくづく馬鹿げていると感じる。

病院は、傷なり症状なりを助けるだけで、「自殺(未遂)者」の「状況」まで救ってくれるわけではない。それは病院に求められる、または提供可能な機能ではないのは明瞭だ。それにしても、「無責任、かつ求められてもない救助」だと感じざるを得ない。

 

「勝手に助けるな」という話なのだ。

「自己責任」と切り捨てるなら切り捨てるでもいい。それなら一貫してきちんと切り捨てろ。

死にたい奴にはちゃんと死なせてやれ。

人の目を気にしたりケツを叩かれたりして、誰かから強いられた「見せかけの救済感情」なら要らん。

助けるなら、もっと手前から助けろ。

もっというなら、そもそも死ぬまで追い込むな。そんな社会をつくるな。