セルフケアと「男性」性

フェミニズム・男性学周辺に関心。立ち位置は、親でも反でもなく「中立」。

「クズ夫dis」隆盛にみる「結婚逃避」の目詰り

kindleコミックで、「ヤバマン」というコミックにハマっている。

何でもアリの「ヤバいマンション」の意味なのだが、そこに出てくる(住人以外もだが)男たちが、ともかくクズ夫・クズ男ばかりというのが特徴だ。

コロナ禍で在宅ワークが浸透するも、まるで家事の手伝いを行わない夫たちのことが話題になったところを見ると、デフォルメ化されているというより、社会の実相をかなりの程度反映した上でのストーリー立てと見るべきだろう。

 

これ以外にも、(対象は夫だけのパターンに留まらないが)筆者がネットを見ていると、最近は(モラハラや不倫NTRやDV等の)「クズ夫dis」をテーマとする実録系コミックの広告表示回数が増加したように思う。

(その手の実録系を好むのは筆者の嗜好でもあるのだが)

「ダメ彼」「ダメ夫」というのは、単にその個人だけの問題に帰せられるべきでなく、社会の構造的問題として捉えなくてはならない、というのが個人的な考えだし、そうした考え方については、当ブログでも何度か触れた。

 

少なからぬ割合の「妻」が、様々な理由で「クズ夫」に悩まされているのは「気の毒」さ(と自らが圧倒的に優遇される「男性」という特権性)を感じる一方で、「結婚」は、「逃避」の手段としては目詰まりを起こしているのだ、と感じる。

「結婚」を「逃避」と捉える見方は、「女性」の側からは反発を受けるだろう。

が、「クズ夫dis」にはやはり「同情」だけの感想では不十分と思うからだ。

 

(disる前に)「事前にクズ夫を見抜けなかったあんたに責任はなかったわけ?」

「本当に、これからの生活の見通しを立てて、十分に相談や準備をした・できたの?」

「結婚や、出産育児の前に、社会環境を見渡すことが出来ていたの?」

という疑問が次々に湧いてくるからだ。

これは、女性に突き付ける「自己責任」論だと言われればその通りかもしれないが、「結婚」にせよ「出産・育児」にせよ、「生活」であり「厳しい現実」そのものである以上、「生半可な覚悟」で飛び込んでやしないか?という問いがなければ片びいきになる。

 

「男が何もやらない」「男がクズだ」というのには、「社会的な」正論も含まれる。

でも、だとするならば、そうした「集合的闘争」の手立てもある。

いうならば、現代版「女の平和」的手段において。

男・男社会に憤懣があるのに、なんで何もやらないで、「個人としての鬱憤」だけに内閉してるの?という疑問もある。

 

「生活に追われてそんなことをしたり考えたりする余裕がない」というなら、やはり同情の余地があまりなくなる。

飛び込んで皆成功できるほど、結婚も結婚生活も甘くないのは、現代の離婚率の高さが証明している。

あるいは、「そもそもがデキ婚で、考えたり選んだりする余裕もなかった」という比率も現在は特に大きかろう。

そうなると、更に厳しい言い方かもしれないが、はなから(「無理ゲー」ならぬ)「無理婚・無理家族」が約束されていたというべき比率も高いのではないか。

その確率は、ある程度まで計算できるだろう。

 

一つ、現実的にあり得るとするなら、「もし結婚が破綻をきたしたとしても、子どもは設けてシンママとして育てられる」という覚悟を持ったうえで臨むことだろう。

(そうしてシンママや、シンママに育てられる子どもが増えること自体が社会としていいことなのか、はまた大きな別問題であるが)

そうした「現実性」に随分乏しく、ただ「クズ夫dis」をひたすら垂れ流しているだけの「妻」が多すぎやしないか?というのが気になるところなのだ。

 

「女性」の社会的地位が日本社会において低く、差別されているのは確かで、取り組み続けるべき問題であるのは確かだ。

なおかつ、男性の特権的地位ゆえに、「クズ男」が量産されているのもまた確かだ。社会構造と、各個人たち双方をターゲットにして、「改善」プログラムを実施しなくてはならぬ。

 

「男が社会を変えろ」というフェミのメッセージに、概ね共感するし、同意もする。

けど、じゃあ女性は本当に考え、行動しているの?そして、しなくていいものなの?というところがとてもモヤモヤする部分なのだ。

あるいは、まだその「男のクズっぷり」が、十分に社会に知られておらず、ようやくその発信と啓発が始まったに過ぎない段階、と見るべきかもしれない。

 

アルテイシアが「ヘルジャパン」という表現で各種日本の「男と男社会」のヤバさを告発する本を書いているが、この手の本の比率の圧倒的低さが現状を物語ってもいる。

ようやく「『男と男社会』を表立って批判できる・してもいい社会」が、ほんの少しだけ実現され始めたことを示しているからだ。

 

告発は必要だが、やはり戦略や方法論に乏しいのもまた特徴だ。

「男が女を分断統治している」という面は無論あるだろうが、それだけでもない。

「同じ立場どうしで連帯して打破する」という、「組合的発想」が非常に乏しいように感じる。

そこはそれこそ、ある程度「男が社会を変える」というところで手を差し伸べるべきところか、と考えている。

「時間」「知恵」「労力」「カネ」のすべてにおいて、余裕がないのは「女性」のほうなのは明白だからだ。