セルフケアと「男性」性

フェミニズム・男性学周辺に関心。立ち位置は、親でも反でもなく「中立」。

性欲の分析

※ポルノグラフィックな記述が目的ではなく、心理分析が目的の記事ですが、部分的にそのような内容に触れている部分があります。不快に思われる方は読まないよう予めお断りいたします。

 

セクシュアリティ探究の中では、様々なことを知った訳だが、「性欲」というものを分析し、自己内部で様々なグラデーションがあることを知った。

もっとも、これこそ個人差の世界であるから、分析を披露することにどれほどの意味があるか分からない。

セクシュアリティ認識・把握」の様式を自分なりに整理したもの、と捉えてもらうのがいいだろうか。(特に露悪的な志向や目的はない)

 

一般的には、男性の性欲は「射精(による頂上到達)」が目標・目的とされる。

が、必ずしもそればかりでもない。

その強弱とか状況・環境・心境(無論「相手」「相性」も含む)により、「性欲」の内容は変容し得る。

(年齢的な要素も大きいと思われるが)

 

・相手とのコミュニケーション、相手の「顔が見たい」、話したい・暇つぶしをしたい

・相手の身体に触りたい・固有の反応を見たい、一体感を得たい

・視覚的欲求

・冒険・探究的欲求

etc.

 

また、相手がいて実際に交わる「性交(セックス)」と別に、自己内部で完結する(ポルノグラフィ鑑賞や自慰etc.)行為もあるが、それらは同じ性欲に発する行為でも、目的・目標は大きく異なることも認識した。

一般的には、「セックス」に比して、ポルノグラフィ鑑賞や自慰等の自己完結行為は、つまらない自己満足的な行為として軽視されたり、貶められる傾向があるように見受けられる。

それには妥当性も認められる理由がある一方で、「性欲」認識の仕方としては、やや一面的という印象も持っている。これについては再説したい。

 

また、少々特殊かもしれないが、上記以外に「書く」行為というのも、「性欲」を部分的に満たす面があると知った。

(体験・経験を回顧・想起するのと重なり合う部分が大きい)

 

自らのセクシュアリティを突き放して認識するというのは、非常に重要な行為だ。

その時々の自分の性欲というものを正確に認識しないまま相手に会ってしまうと、結構「事故」って失敗してしまうことも少なくないためだ。

感傷的な書き方になるが、「不用意なセックスで傷つく」のは女性だけではない。

失敗によるショックの心身に与えるダメージは、想像以上に大きいことがある。

 

「性欲」というのはデリケートな、取扱要注意の「生きもの」だ。

相手によっても、状況・環境・心境によっても、大きく変わってくる。

ジェンダーセクシュアリティ、その認識は、自らの実存の、また幸福そのものの基盤である。

客観的に突き放して認識しておくことは、自らの幸福にも、また自らの心身を守ることにも大きく関わってくると考えている。