セルフケアと「男性」性

フェミニズム・男性学周辺に関心。立ち位置は、親でも反でもなく「中立」。

「知るべきでも知りたくもないし、知る必要もない」事

最初に働いた職場で、そうした「仕事」があるな、と思った。

要は「汚れ仕事」だ。

上層部の恥部・秘部とかに関わる部分。

上層部に「小間使い」扱いされるようになるとか、会社の「奥」部分を覗けたりするのかもしれないが、「それは全然見たくもないし、関わりたくもないな」と感じたのだ。

 

卑怯かもしれないが、仕事をするなら、あくまで「会社のタテマエ(大義)」部分だけを見つめて働きたい。

別に、その職場に奉職したといって、上層部の子分になった訳でも、なりたい・なりたかったわけでも何でもないからだ。

その小さな職場では、「公(パブリック)」と「私(プライベート)」がもつれ合いがちだったので、自分の中で、しっかりと「情」と「理」を分けた上で働くようになっていた(それは、ある意味その職場で身についた「スキル」と言えるかもしれない)。

 

もっと、魅力的でカッコいい上層部なら、「公私ともに世話になりたい、見習いたい」と感じたかもしれないが、両方なかった。苦笑

ともすれば、彼らの「懐に入る」ことができれば「お気に入り」になり、「出世する」ことも視野に入るかもしれないが、そうした未来そのものにも彩りは特になかった。

 

「知るべきこと・知るべきでないこと」の「境界線」を明確にし、それを「自ら」守り得たことは、とても大きな財産となった。

別に、「汚れているからダメだ」と思っているわけではない。

そこまで自分がピュアで清廉潔白なわけでもなければ、「正義屋」というわけでもない。

 

「汚れ仕事」とか「利権仕事」があったとして、「そこに『今・ここ(彼らの許)で』塗れていいのか?」という厳しい見極め・選別の作業を行った。

もう少し歳もいって、先の展望に希望もなければ、判断も違っていたかもしれないが。

変に「世間ズレ」しないで済んだことは、決定的意味を持った。

「自分がそうされた以上、人にもそれを強いてしまう」、ハラスメントの連鎖をしなくて済んだし、それだけでなく、自ら「義」を持ったうえでの業務を推進するうえで、「腹蔵」すなわち後ろめたさを感じずに遂行できたからである。